旧東海道を歩く 江尻 町屋・清水銀座・巴川

1994.5.3


清水の町家

 清水、江尻の宿に入る。辻町と呼ばれる辺りを南下する。旧街道筋なのだが道路が拡幅されたせいか、妙に街が開けた印象で由比や興津などの密度感がない。それでも所々に逗子二階や平屋の仕舞屋が散見される。駅の近くには土蔵のある立派な家もあった。米屋だか燃料商だったか、その手の店は立派なものがなぜか多い。

 清水の駅前で昼食。同行のS氏はデザートとしてナンテコッタなるものを食す。何のことはない、パンナコッタとナタデココの組み合わせ。しかし今となっては両方とも懐かしい流行もの。94年頃ってその手のデザートが毎年のようにあったなー。


清水銀座

清水銀座

 Jリーグができてから、清水は「清水エスパルスの街」として全国的に有名になっている。清水銀座もエスパルスストリートという愛称を持ってサッカー最中を売っていたりして・・・。ただアーケード商店街はご多分に漏れずあまり人気がない。一部に共同建物があるが、それも昔の話でやや老朽化している。中心市街地の衰退というのは、やっぱり器(建物)がどうこうという話ではないらしい。

 県内の旧宿場にはスタンプ台が設置されている。ここ清水・江尻宿では空き店舗だか倉庫の奥まった一角にひっそりスタンプ台が置かれていた。「旧東海道」というものも地元的には大した意味を持たないようである。


巴川と巴川製紙

 清水市内には巴川という川が流れている。静岡市の方から緩やかに東へ流れ来る2級河川である。私が小さい頃まではしばしば大雨で氾濫していた。急激な都市化により氾濫原であった土地までが宅地化し、大雨の時に水が行き場を失い街へ流れ込んでいたのである。昭和49年の七夕豪雨などの経験を経て、1980年頃から放水路や遊水池の整備が進み、洪水は少なくなってきている。県内の河川は急流が多いが、巴川は緩やかな流れで、清水市内では昔は舟運もあったようである。現在も河口付近の水量の多い場所では、川を行く船が少ないが存在している。

 巴川沿いには巴川製紙の古い工場がある。製紙工場は多量の水を使用するため川沿いにあるという。そういえば静岡の丸子川沿いにも巴川製紙がある。また富士市、富士宮市には富士川の水や富士山の伏流水を利用した大規模な製紙工場群がある。水辺に建つ工場の風景はとりたてて美しい風景ではないのだが、産業が創る景として印象的なものでもある。

2007.8.12
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