Site Y.M. 建築・都市徘徊

日本建築学会大会学術講演梗概集(近畿) 1996年9月
正会員 ○松本泰生*1 徳田賢太郎*1 戸沼幸市*2

東京の階段に関する研究
−都心部における階段の分布状況−


■はじめに
 東京の都心部は山の手を中心に、河川の侵食によって地形の起伏が複雑になっており、谷と丘が多い地域になっている。そこでは江戸時代から数多くの坂が存在し、中でも傾斜が急なものは階段となっている。階段は都市の風景に変化を与え、個性的な都市景観を創り出してきた。また階段を含む都市空間は、自動車交通を前提とした近代的都市計画からは取り残されている面があるが、逆に自動車中心ではない、歩行系のヒューマンスケールの空間を維持している場合が多い。
 本研究は、東京の都心部に存在する階段について、その分布状況と箇所数を明らかにし、現況把握を通して階段の持つ意義と可能性を考察している。


■調査対象地域と調査方法
 調査対象地域は江戸以来の道筋を持つと考えられる、東京旧十五区内の山の手部分とし、これにおよそ該当する山手線の内側の地域で階段の抽出を行った。抽出に際しては1/10,000地形図、1/2,500都市計画図及び住宅地図を利用し、原則として自然地形によって生じた高低差のある場所に造られた階段を選択・抽出した(注1)。また一般市民が屋外を歩行する際に利用可能な階段を調査の対象とし、塀などで囲まれた私的色彩の強い敷地内及び、単一の建物・敷地へのアプローチ部分に存在する階段は除外した。文献による調査後、更にフィールド調査により、所在、形態現況の確認を行った。


■階段の分布と箇所数
 現在、調査対象地域には、小規模なものまで含めると649の階段が存在している(1996年4月時点迄に確認できたもの)。特別区ごとの内訳、総数を下表に示す。

表-1 階段の区別箇所数
 区名 箇所数   区名 箇所数 
 千代田 38   品川 34 
 港 154   渋谷 56 
 新宿 128   豊島 29 
 文京 169   北 12 
 台東 21   荒川 8 
   計 649 

注)千代田、港、文京の3区以外では山手線の外側にも階段が存在しているが、本表では箇所数に含めず、山の手線内に立地するものの数のみを示した。


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図-1 都心部における階段の分布


 調査対象地区内に分布している階段(図-1)には、大別して二つのタイプが考えられる。第一に都心部山の手に7つあるといわれる台地と、その間に入り込んでいる谷地、低地をつなぐ形で分布している階段、第二に台地上もしくは低地部の比較的平坦な地形上に存在する、わずかな高低差をつなぐ形で分布しているものである。

1)台地と低地をつなぐ階段
 台地と低地をつなぐ階段は、東京では山の手の起伏のある地形に沿って、なかでも傾斜の急な斜面に集中的に分布している。山の手においては大半の地域に何らかの形で階段が分布しているが、なかには500m四方程度の範囲内に、5〜10ヶ所の階段が集中して立地している地区もいくつか存在している。例えば文京区の大塚5丁目や本郷4丁目湯島3丁目、また新宿区の愛住町から荒木町・坂町にかけての地区、河田町周辺、港区では南青山4丁目、高輪1丁目、更に品川区上大崎1丁目などが、主な集中地区として挙げられる。階段が集中するこれらの地区は地区内にかなりの急傾斜地を含んでおり、階段の他にも崖、石垣などの擁壁が多く存在する場所となっている。そしてこの高低差によって、階段の上部やその周辺はしばしば、東京では数少ない地形上からの眺望が得られる場所にもなっている。またこのような場所には、2)で述べる地形の細かな起伏上の小階段も同時に存在していることが多い。
 地形的な特性により開発が容易ではないため都心部であるにも関わらず、これらの地区では階段とその周辺の道筋がおよそ遺されている。そしてこのような場所においては、今後の開発によっても何らかの形で階段は存続していくものと考えて良い。

2)わずかな高低差をつなぐ階段
 一方、地形図等で判別可能な、ある程度の傾斜地以外の場所、つまり割合平坦な台地上や下町でも、小規模な階段は、急傾斜地ほどではないが多く存在している。これらの階段はその多くが私道上に設けられたもので、住宅地の中の小さな高低差(1m未満)を越えるために造られ、5〜10段程度で小さく短いものが大半である。また坂道に沿った歩道上に、歩行者の歩き易さを考慮して造られたものも若干見られる。このような僅かな段差ともいうべき高低差は、自動車ではあまり感じられない程度のものであり、その傾斜や勾配もそれほどきついものでないことが多い。従ってこれらの階段は、造成等の地形改変が行われればたやすく消えてしまう程度の微地形上にできたものであり、大規模な道路のつけ替えを伴う、土地区画整理や都市再開発がそこを対象として行われなかったために、偶然今まで残されてきたものであると考えて良い。

3)階段の分布が少ない地区
 前述のように都心部では、地形的な起伏のある大半の地区において階段が分布しているが、詳細に見てみると本駒込4丁目(図-2)のように、隣接する千駄木4丁目同様に地形による高低差がかなりあるにも関わらず、階段が殆どもしくは全く存在しない地区もいくつか見られる。これらの地区の多くでは、近代以降の土地区画整理事業や都市再開発によって、既存の道路が拡幅もしくは付け替えられたりし、階段がしばしば立地するような細街路がなくなっている。また通りは全て自動車交通を考慮して坂道に改変されており、そのため傾斜地であるにも関わらず、階段は存在していない。
 この他、三田1、2丁目などのように、旧武家屋敷地で現在でも高台の殆どが大規模な施設(大使館、大学等)で占有されている地区では、高台と下町をつなぐ道筋が以前から少なく、新たに細い道筋で丘の上下が繋げられることもないため、坂は多いが階段が殆ど分布しない地区になる場合も見られる。

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図-2 本駒込4丁目周辺の地形と階段の分布


■まとめ
 以上、見てきたように、東京の山の手には現在もかなり多くの階段が存在し、それらは都市景観の一要素として、町並みにアクセントを与え、また山の手の空間特性を端的に示すものになっている。しかし都心部の高密度な住宅地空間においては、階段はしばしば、災害時の消火活動に支障が出るという防災面と、老人や障害者の通行難などの福祉的な側面から改善が望まれてきている。また自動車交通の利便性を享受する上でも不便なものとして捉えられており、緩やかな傾斜地上の小さな階段などは、拡幅が行われスロープ化されている。そして東京では、階段とこれを含む住宅地空間は次第に減少しているのが実情である。しかしこのように改善、開発から取り残された階段のある空間は、逆に自動車交通の危険性が少ない、人間的な尺度で形成された良好な居住環境となっている面もあると考えられる。今後は東京の階段とその周辺空間についての、現況や歴史に関する体系的な調査、また階段の特性を生かしつつ、上記のような問題を解決する方法を模索することが望まれる。


注1 道路建設に伴う盛り土、切り通し部分に造られたもの、丘と丘をつなぐような架橋部分に造られたものは、地形に関連して造られたものとして、抽出対象とした。また寺社の参道上の石段、公園内の階段についても、低地から高台への通り抜けが可能なものは箇所数に含めている。この他、長く断続的な階段については、途中で分岐点、交差点がなく、一連の階段であるとみなすことが可能である場合は、一つの階段として数えた。


*1 早稲田大学大学院(Graduate School,Waseda Univ.)
*2 早稲田大学教授 工博(Professor of Waseda Univ. Dr.Eng.)


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