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東京の微地形に関する研究 その5
 :斜面地における空間形成の仕組み


■はじめに
 東京の都心部山の手地区は、微地形と呼ばれる小規模な起伏が折り重なって複雑な地形を形作っている。この微地形を有する斜面地 注1)では、明治期以降、宅地化が徐々に進行し、現在では往々にして高密度に住居が建ち並ぶ斜面居住地 注2)が形成されている。
 その1〜その4では、都心部に散見される斜面居住地の街路の特質、居住空間の特性等を明らかにした。本稿では、これら斜面居住地の形成過程を文京区白山2丁目を事例としながら明らかにし、宅地形成の仕組みについて考察することとする。


■調査対象地域と調査方法
 調査対象地域を、江戸以来の宅地化の歴史を持つ東京旧十五区内の山の手部分とし、その中で宅地化に対する地形の影響が明瞭に見て取れる、文京区白山2丁目を事例対象とした。形成過程については、明治期から現在までの宅地化の様子を、地形図類(1/10,000・1/5,000地形図、地籍図 注3)、住宅地図、火災保険特殊地図 注4)等)を利用して、便宜的に4期に分けて把握した。


■空間構成の変遷

1.江戸期(〜1868)
 江戸期には低密度な土地利用が展開していた。道路網は未発達で、非建ぺい空間が一面に広がり、谷壁斜面も樹木などで覆われ自然地形がそのまま残っていた。


江戸期 注5)
小規模な宅地化・石垣の形成

2.明治期(1868〜1912)
 明治期には在来の道路から小さな街路が樹枝状に派生するといった僅かな変化が現れる一方で、平坦地あるいは緩やかな勾配を呈する傾斜地では宅地化が進行した。しかし台地と低地の接合部付近の急勾配となる箇所では、地形的制約を受けて宅地化が進行していない。従って谷壁斜面には広葉樹林が広がっているが、一部で土圍(=土堤)や累石圍(=石垣)が派生し、基本的には江戸期の自然地形を継承しながらも、僅かながら人為的な変更が窺える。


明治期「測量局五千分壹東京図(1884)」

明治期
平坦化

3.大正・昭和戦前期(1912〜1945)
 道路開設が進み、現在とほぼ変わらない道路網が確立されるとともに、台地側、低地側ともに宅地の細分化がなされ、高密化が進行した。土木技術の進歩の後押しを受けて谷壁斜面にまで建て詰まりが見られ、地区内全域に都市的な土地利用が展開されている。そして谷壁斜面は平坦化された土地と、コンクリート等で被覆された人工的な崖によって構成されたひな壇状の形態となり、その容姿を大きく変えた。人工的な崖により全体的に法面の勾配は急になり、比高が急激に変化する変異点的性格が強まった。一方で平面的には、これまで大きく隔てられていた崖上と崖下の空間が、法面が急になった結果接近し、場合によっては生活空間に影響を及ぼすこととなった。平面的にも自然地形に準じた曲線が姿を消して行き、直線的な敷地割りへと変容している。


大正期「火災保険特殊地図(1937)


大正・昭和戦前期
大型の崖(擁壁)の形成

4.戦後期(1945〜)
 第二次世界大戦によって地区は一旦焦土と化した。その後、道路網の骨格は戦前期を踏襲しながら部分的に変更され、現在に至っている。宅地化は戦前期と同様、宅地造成の容易な平坦地から再度進行している。地区全域が宅地化されてからは断続的に建て替えが行われ、中には小さな建物が集約され、大規模化するものも見られる。こうした中、斜面地の外形は戦前からそれほど変化しておらず、開設される道路の形状や建てられる建物の規模等に応じて小さな変化を示す場合が多い。一方で、戦災によって全面的に焼失した場所の中には、建て詰まりの過程で斜面地空間が再編成されることもあり、そこでは新たにひな壇状の宅地が形成される場合もある。


戦後期「火災保険特殊地図(1953)」


戦後期(〜現在)
高密度化
ひな壇状宅地の形成


現在「ゼンリン住宅地図(1991)」


■斜面地における空間形成の仕組み
 このように斜面地空間は宅地化に連動して変化しているが、その空間形成に関わる要因として主に以下の3つが挙げられる。この3つの要因は複合的に作用しながら斜面地空間の構造を規定するとともに、空間に多様性を与えている。

1.斜面地の形状
 斜面地自体の形状は、大小様々なレベルで空間形成に影響する基本的要因である。例えば、白山地区の急峻な地形の存在により、台地下の道路は袋小路となり台地上に貫通していない。また、台地裾付近では段面の小さなひな壇が形成されているが、この地形はそこで小規模な建物以外の建設を許容しないため、立体的な空間構成と相俟って密集感を強く与える空間を作っている。
 斜面地における宅地化の過程では、斜面の勾配は開発時期にも影響を及ぼす。また、戦前、戦後と異なる開発時期を持つ空間が接する所では、道路の付け替えが行われたりしてクランク状の道路形態も現れる。このように斜面の形状は大局的に地区全体を性格づけると同時に、道路の折れ曲がりなど空間の変異点を作り、空間形成に多面的に影響を及ぼしている。

2.江戸期の身分制度に基づく土地利用区分
 身分制度に基づく土地利用区分は、早くから都市開発が始まった東京山の手特有のものであり、空間形成の出発点となっている。江戸期に白山地区の台地上に存在していた大名敷地は、明治以降、官有地等へと用途を変え多少の細分化はしたが、現在も基本的には当時の大規模な敷地割りを継承している。台地下に入り込む道路は、この大きな敷地割りに規定され袋小路となる。こうして現在でも閉鎖的で隔絶感の強い空間が形成されているわけだが、その素地は既に江戸期に作られていたことになり、長い時間を経た現在もその影響を空間に見出すことができる。

3.宅地化された時期の土地所有の形状
 土地所有の形状は実際の空間の背後にありながら、その空間的特質に大きく関与する。例えば同地区の台地裾の宅地は元は一人の地主が所有する一筆の土地だった。戦後に形成されたこの宅地では矩形の崖が集まってひな壇となっており、等質な空間が形成されている。このように一地主が所有していた宅地は、開発後に等質な性格を持った空間になりやすい。そして結果的に斜面地では、随所に規模、性質の異なる空間のまとまりが形成される。


■まとめ
 斜面地の空間形成過程を概観することにより明らかになったこととして以下のことが挙げられる。  まず、近代化によりそれまで開発されていなかった斜面地の宅地化が進み、空地が減少したこと。また高台と低地を境界づけていた空間が失われて、都市が均一かつ連続的になってきたこと。更に斜面地における空間形成には、固有の地形、土地利用の経緯、土地所有の歴史的状況の3つの要因が影響を及ぼすこと、またその要因は全て、斜面地の元々の地形条件により左右されているということである。
 今回は白山地区の主に崖下斜面を取り上げたが、同じ都心部の斜面地でも、地形等の条件が異なれば、その形成過程や現況は異なる。そこで、これらを類型化し、整理することにより、それぞれの今後の変容の予測が可能となり、これに対する対応を考えることができよう。


補注

1) 斜面地:本研究においては、浸食谷底と台地面の2つの領域の間に存在する谷壁斜面及びその周辺空間を指す。勾配25〜50%の急斜面で、高低差10〜20mのところが多く、一般的にこの谷壁斜面が山の手地域における斜面地として認識されている。
2) 斜面居住地:東京山の手の斜面地上に形成された市街地。
3) 「東京市及接続郡部 地籍地図」東京市区調査会刊(1912)
4) (株)都市製図社発行(1937、1953)
5) 模式図中の建物立面は地図上に記載されている建物外形、階数、敷地規模を勘案して、模式的に再現した。


松本泰生
早稲田大学理工学部建築学科 助手
Research Associate, Department of Architecture, Faculty of Science and Engineering, Waseda Univ.

松尾 環
日本工営株式会社
Nippon Koei Co.,Ltd.

戸沼幸市
早稲田大学理工学部建築学科 教授・工博
Prof., Department of Architecture, Faculty of Science and Engineering, Waseda Univ., Dr.Eng.

1999.9


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