Site Y.M. 建築・都市徘徊

Cityscape of Tokyo  変化していく東京の都市風景

日暮里富士見坂からの富士山の眺望

 東京には数多くの坂がある。江戸時代以来これらの坂にはいろいろな名が付けられて人々に親しまれてきた。富士山が見える富士見坂、海が見える汐見坂など、様々な由来を持つ坂が東京には残る。


富士見坂からの眺望 Photo 1994.1.30

 江戸の人々にとっても富士山は特別な山であり、都内には十数カ所の坂に富士見坂の名が残っている。しかし、近年の開発により、実際に富士山が見える坂は急速に減少した。現在、「富士山が見える富士見坂」はこの日暮里富士見坂、それから大塚の富士見坂(護国寺前)で一部が見えるのみである。

 高度成長期、大気汚染のため東京からは富士山がなかなか見ることができなくたった。しかし近年は少しずつ富士山を見ることができる日数も増えている。また、東京に住む人々の原風景として、東京から見える富士が再認識されるようになり、文献、雑誌、写真等で採り上げられることも多くなっている。それに伴い、日暮里富士見坂からの富士をフィルムに納めようとする人も見かけられるようになった。

 毎年、秋から冬になると空気が澄んで日暮里富士見坂から朝夕に富士山が見えるようになる。特に11月の末と1月の末には、西に沈む太陽がちょうど富士山の山頂に沈むという印象的な光景を見ることができる。

 しかしここへきて、このある意味東京人の原風景とも言うべき風景が失われる事態が生じてしまった。富士見坂と富士山を結ぶ直線上にマンション建設の計画が行われたのである。地区の住民等による反対運動・交渉も行われたが、工事は進み、富士山の眺望は半減した。

 現在、このような場合、計画を途中から変更する決定的な手だてはない。日暮里富士見坂からの富士山の眺望は東京都選定の残してゆきたい景観としても取りあげられているだけに残念である。今後、再びこのようなことが起こらないように、より多くの人々がより深くこのような問題に関心を持ち、このような事態を未然に防ぐように行政等と共に強制力を伴う景観計画を作ることが望まれる。

 富士見坂の眺望保全に関する詳細な情報はこちらのHPで → 「富士見坂眺望研究会」

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夕景(かすかに富士のシルエットが浮かぶ) Photo 1992.12.25


望遠レンズで見た富士山 Photo 1992.12.25


富士山頂に沈む夕日 Photo 1994.1.30

左側にビル(東洋大学校舎)が建設され始めた頃。更に、富士の左側稜線を隠す形でマンションが建設された。


富士山頂に沈む夕日(山頂にかかる雲や雪煙が光り輝く) Photo 1994.1.30


戸沼研究室 眺望関連論文

地形からみた江戸・東京の眺望に関する研究 岩佐賢治・鈴木雅登 1992年度卒業論文
眺望序説 江戸・東京をフィールドとして 熊丸博昭 1992年度修士論文
東京の風景における眺望の意味
 〜日暮里諏方台の眺望論的解析を通して〜
水田ひろみ 1993年度修士論文
東京の地域デザインにおける眺望の可能性 岩佐賢治 1994年度修士論文
日暮里富士見坂における眺望の保全に関する研究 川本哲也 1996年度修士論文
江戸・東京における眺望の変容に関する研究 千葉一輝 日本建築学会計画系論文集,No.481,p.157,1996/3

09.3.3

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